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おおぎ ちかげ

扇 千景[1933-]

扇 千景

女優(元宝塚歌劇団娘役)。保守党党首、国土交通大臣、参議院議長等を歴任。

 1954年、宝塚歌劇団に41期生として入団し、同年4月に『春の踊り(宝塚物語)』で初舞台を踏んだ。8月、宝塚歌劇団の意向から、新設された映画専科に八千草薫と共に異動。早速、その年の10月に『快傑鷹 第一篇 蛟竜風雲の巻 […]...

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よしや のぶこ

吉屋 信子[1896-1973]

吉屋 信子

小説家。

 1920年、吉屋信子は『地の果てまで』が新聞の懸賞小説に当選し、選者であった徳田秋声と知遇を得る。その徳田秋声を案内して宝塚少女歌劇の東京公演を見に行くと、幕間の廊下で小柄な老紳士が、秋声に声を掛けてきたという。それが […]...

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いうえ としお

井植 歳男[1902-1969]

井植 歳男

三洋電機株式会社の創業者。

 1920年代、東京電灯の経営改革に携わった小林一三は、電力事業の将来に確信を持った。「日本なんて資源のない国で、電力は資源なんですから、もうかる、もうからんじやないです。…つまりいくら金をかけても、資源を作るのですから […]...

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ぜにたか ひさきち

錢高 久吉[1891-1971]

錢高 久吉

錢高組 社長。

 1941年、阪急百貨店で発行していた雑誌『汎究美術』(後の『日本美術工芸』)に、小林一三「逸翁」は、随筆「芦葉の雫」を連載する。高名な書家や画家の作品ではなく、原富太郎、犬養毅、西園寺公望など、一定の業績をなしえた人物 […]...

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かすがの やちよ

春日野 八千代[1915-2012]

春日野 八千代

元宝塚歌劇団専科の男役。劇団名誉理事。

 端整な美貌から「白薔薇のプリンス」「永遠の二枚目」と謳われた春日野八千代。人気男役スターとして、宝塚歌劇団の現役生徒(団員)である事を、亡くなるまで守り続けた。  1951年3月の月組公演『ローサ・フラメンカ』(菊田一 […]...

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みやたけ さぶろう

宮武 三郎[1907-1956]

宮武 三郎

プロ野球選手、阪急軍初代主将。1965年、野球殿堂入り。

 宮武三郎は、早くも高松商業学校(現、香川県立高松商業高等学校)時代、1925年に全国中等学校優勝野球大会(夏の甲子園)で全国制覇を達成した。  慶應義塾大学に進み、1927年の東京六大学野球春季リーグの開幕戦(対東京帝 […]...

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かわきた はんでいし

川喜田 半泥子[1878-1963]

川喜田 半泥子

百五銀行頭取、陶芸家。

 伊勢の豪商、川喜田家の16代当主。本名は久太夫政令(きゅうだゆうまさのり)。1903年、百五銀行の取締役に就任し、1919年~1945年の間は同行の頭取を務める。三重県財界の重鎮として、要職を務めた。1930年には「財 […]...

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おざき ゆきお

尾﨑 行雄[1858-1954]

尾﨑 行雄

政治家「憲政の神様」「議会政治の父」。号「咢堂(がくどう)」。

 写真は、1928年5月、宝塚大劇場に同席する、尾﨑行雄と小林一三。紙焼き写真の余白に、「宝塚大劇場 尾﨑咢堂翁とともに 逸翁」と一三自ら書き付けている。一三にとっても、記念すべき出来事であっ […]...

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ふるかわ ろっぱ 、古川 緑波

古川ロッパ[1903-1961]

古川ロッパ

舞台・映画で活躍したコメディアン。

 早稲田大学在学中から、古川ロッパは菊池寛に認められ、文藝春秋社で雑誌『映画時代』の編集に就いていた。その間、素人ながら声帯模写など芸達者な一面が知られ、菊池や小林一三の勧めで舞台に上がる事となる。1932年、宝塚中劇場 […]...

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とりい しんじろう

鳥井 信治郎[1879-1962]

鳥井 信治郎

サントリー(サントリーホールディングス株式会社)の創業者。

 小林一三の次女、春子は、鳥井信治郎の長男、鳥井吉太郎と結ばれた。ところが1940年、吉太郎死去の報が一三に届く。31歳の若さであった。時に一三は、第二次近衛内閣の商工大臣を拝命し、蘭印交渉に係わって遠くインドネシアの地 […]...

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