1892年 福澤諭吉の教え

その他
1892年 慶應義塾卒業生。上部中央に福澤諭吉、小林一三は左下。

 福澤諭吉は『西洋事情』や『文明論之概略』などの著作により、明治維新後の日本が西洋文明をより積極的に受け入れる流れを作った。そして
「我輩の多年唱導する所は文明の実学にして」(『福翁百話』)
と福澤は、最も実践的な学問として経済学を説いている。よって、福澤の門下からは経済界で活躍する人材が数多く出た。
「経済学の旨とする所は、人間衣食住の需用を給し、財を増し、富を致し、人をして歓楽を享けしむるに在り。」
とは福澤が『西洋事情』で説いた教えである。そしてこの言葉を心に留めて、真に実践したのは小林一三その人ではなかったか。
 また
「男女両性の地位に平均を得せしめんとするの目的を以て論緒を開き」(『日本男子論』)

「女子の教育固より等閑(なおざり)にすべからず。」(『福翁百話』)
などの教えから知られるのは、福澤諭吉の男女を平等に捉える視点である。これこそ、宝塚音楽学校や東京婦人会館などを組織して女性が文化面でも輝くことを願った小林一三の、拠って立つところであったに違いない。