1927年 東京電灯の立て直し

東急・東電・政務
1936年 東電50周年 同社首脳陣。前列左から3人目が小林一三。

 日本初の電力会社、東京電燈株式会社(現、東京電力)は、数度の買収合併によって電力網を拡大した。けれども同時に過剰な発電設備を抱え込み、そこに関東大震災による被害も重なって、経営不振に陥っていた。同社に融資していた三井銀行も、こうした事態を看過できず、1927年、同行の池田成彬の取り成しで、郷誠之助と小林一三とに東京電燈の立て直しを依頼した。郷は、1922年、日本経済聯盟会の常務理事になるなど、当時の財界のまとめ役となっていた。

 1928年、郷が社長となり、一三を副社長として、債務整理に取り組む一方、電力他社との激しい競争に生き残りを賭けて電力業界の再編を模索した。1930年には、郷が社長のまま会長を兼務して、業績回復の目途が立つと、1933年からは一三が東京電燈の社長となった。一三は会社の近代化に取りかかり、事務の合理化から事業の整理、顧客サービスの向上と、矢継ぎ早に指示を出した。

 1936年、東京電燈の開業50周年記念式典に及び、この頃にはすっかり経営を立ち直らせていた。一定の再建を果たした郷誠之助は同社を退任、小林一三が会長を兼任する事となる。しかし一三は、ここで手綱を緩めず、次の課題である余剰電力への対策を推し進めていくのであった。