1947年 松下幸之助と対談
東急・東電・政務

「経営の神様」と呼ばれ、現代を築いた実業家としてしばしば小林一三と肩を並べる松下幸之助であるが、実のところ、親子ほども年が違う。財界の先輩となった小林一三に対しては、松下幸之助も深い信頼を寄せていた。1947年の一三の日記には「松下幸之助君来訪、同氏発行PHP雑誌の為め対談記事筆記。洋食の昼飯を共にす。」と見える。この時の記事は「官僚と民僚」と題されて『PHP』1948年新年号に載った。松下は、戦後の社会に対する一三の深い洞察を聞き出している。
1952年、松下幸之助が主催した「新政治経済研究会」に登壇した一三は
「今日は第一回初めての会合なりといふ。集まる人、百人内外也。私の題は「食糧問題の解決とその研究」にて講演、質問応答が沢山あつたのは嬉しい。」
と記す。一三は
「米が不足だからと言つて、今日外国から三百万屯の米麦を輸入し其代金千何百億円を支払ふのは馬鹿気てゐるから我国としては三百万屯の輸入によらず、適地適食を奨励しあらゆる方法を研究してお米ばかりでなしに食つてゆく方法を研究し、そして、千何百億円の輸入代金を減税に持つてゆく」
と説いた内容を書き留めている。
また1957年新春のテレビ対談(NHK)では、84歳になる一三が、政治経済の推移から、国内ばかりでなく東南アジア全体の社会的繁栄を希望する、遠大なヴィジョンを松下に向けて語っている。この対談『新春放談 小林一三・松下幸之助』は、NHKアーカイブスで視聴できる。