1935年 「日劇」を直営
東宝・宝塚歌劇

1933年、小林一三ら財界人の出資で有楽町に日本劇場が建設された(現在の有楽町マリオンの場所)。ニューヨークのロキシー劇場を模した円形の外観、3層の客席約2600を有する大劇場は「陸の竜宮」と称された。当初は映画館としてスタートし、ミュージカルや歌謡ショーにも用いられて、日本興行界を代表するステージとなった。
1935年からは日本映画劇場株式会社を合併し、東京宝塚劇場が直営興行を始める。翌年「日劇ダンシングチーム」が結成され、1938年には「榎本健一座」の『突貫サーカス』が大当たりとなるなど人気を博す。一三は、日劇も日比谷映画と同じ50銭均一という画期的な入場料を設定し、たくさんのお客様の来場を導いた。
小林一三は、演劇についてもやはり劇場経営が重要だと言う。
天劇は綜合芸術なりなぞと立派にいふものの、要するに営利事業として観客なしには成立しないものであって、成立し、存在するから、ここにはじめて進歩の希望があり、また向上の運命が宿るのであります。
芸術としての理想論を語っているばかりではなくて、そもそも劇場として経営が成り立たなくては、お客様に観ていただくことすらできないではないか、との思いが伺える。