1937年 高峰秀子が映画出演
東宝・宝塚歌劇

1929年、松竹映画でのデビューは5歳。天才子役スターとして活躍する一方、実は宝塚歌劇団入りを考えていた。少女の頃からのファンで、東京宝塚劇場で「目を皿のようにして見物して帰ると、母の前でコーフンして踊つたり歌つたり、スターさんの真似をしては一人で悦に入っていた」と高峰秀子は語る。
中でも男役にあこがれて、本気で宝塚に入りたいと思い、そのころまだ松竹大船にいましたが、水谷八重子さんの御紹介で小林一三さんにお会いしたりして、もうすつかりその気になつていました。
1937年、東宝の前身の一つP・C・L映画製作所へ移籍し、松竹を退社。P・C・Lでの第1作は、吉屋信子原作、山本嘉次郎監督の『良人の貞操』。そして横山隆一の連載漫画が原作の『江戸っ子健ちゃん』では榎本健一と共演。1943年には東京宝塚劇場の舞台で、白井鐵造の音楽劇『桃太郎』にエノケンと共演。以降アイドルとしての人気も高まり「デコ」の愛称で親しまれた。
戦後1947年に新東宝映画製作所(新東宝)が発足すると、高峰秀子は同社の専属となる。1949年の『銀座カンカン娘』(製作新東宝、配給東宝)では笠置シヅ子の向こうを張って主題歌も歌い、スクリーンに明るい笑顔を振りまいた。