1938年 東京婦人会館の開設
東宝・宝塚歌劇

小林一三が東京に創った 文化施設の一つに「東京婦人会館」があった。1938年、東京有楽町の日劇5階に「婦人が婦人のために知識と教養を高める機関」を開設する。活動の中心となったのは、村岡花子・吉屋信子(小説家)・吉岡彌生(東京女子医科大学創立者)・市川房枝(婦人運動家・政治家)ら女性文化人達であった。
会館には、講堂・音楽室・図書室、そして茶室や食堂も備えられた。華道・茶道、日舞・謡曲、洋裁・和裁、ピアノ・コーラス、短歌・俳句などの講座が開かれ、現在のカルチャーセンターの先駆けとなる。知的教養のための講演会・講習会、体位向上のための行事や運動設備の充実、法律・結婚・保健・育児の相談なども催され、若い女性を中心に3000人に近い会員が集まった。
1940年には有楽町駅に近い東宝会館へ移り、働く婦人のための夜間部も設けられた。しかし戦局が厳しくなり1943年に解散。女性の知的向上心を汲み取り、稽古事から因習を取り去り、さらに働く女性にも時間を提供して、女性の意識改革に貢献した。
1955年、東京大手町の産経会館内に、産経新聞社の協力で「東京婦人会館」が復活。村岡花子が学園長となって1956年「東京婦人会館付属学園」と改め、翌1957年には「産経学園」として独立した。