1951年 森繁久彌を舞台に抜擢
東宝・宝塚歌劇

昭和の芸能界を代表する国民的俳優の一人、森繁久彌は、1936年、東京宝塚劇場に入社して演劇の世界に足を踏み入れた。大部屋時代の森繁は思わぬエピソードを伝える。
或る日、名優熱演の舞台の裏で、
「こんな出し物じゃァ駄目だナ、おれが座長なら......」と怪気焔を上げていたら、すかさず私のうしろで
「成程、君が座長ならどういう出し物を出す?」と聞きかえした小柄なハオリハカマのお爺さんがいた。私は多分和楽の三味線ひきかお囃子のオッサンだろうと思って、
「ええ、聞きたきァお話ししましょう」とえらそうにペラペラ......。
「大体出し物に若さがないし、冒険がありませんな」と、よせばいいものを、口から出まかせ。日頃のうっぷんも交えてタラタラと述べたてたものだ。ところがそのお爺さんは、
「成程、なる程、それで......」と、中々の聞き上手、さんざんしゃべらせておいて、
「いや有難う。参考になったよ」と、えらそうな挨拶をして、さっさと消えて行ってしまったのである。
さてそのあと、聞いていた同輩が変にしらけた顔をしているので、どうしたんだと聞いたら、
「馬鹿だなァ、お前は。あれが社長だよ」(森繁久彌「杖と茶碗」『小林一三翁の追想』)
戦後、ようやく舞台や映画に声が掛かる。1951年、帝劇ミュージカル『モルガンお雪』で越路吹雪や古川ロッパと共演。翌年のサラリーマン喜劇映画『三等重役』を切っ掛けに、1956年に始まる「社長シリーズ」や主演の「駅前シリーズ」など大ヒットが続き、森繁久彌は人気者となった。