1955年 扇千景への教え

東宝・宝塚歌劇
1956年 宝塚映画製作所、新スタジオの開所式でテープカットする小林一三と後ろに控える扇千景。

 国土交通大臣や参議院議長を歴任して知られる扇千景が、女優としてスタートしたのは宝塚歌劇からだった。
 1954年、宝塚歌劇団に41期生として入団し、同年4月に『春の踊り(宝塚物語)』で初舞台を踏んだ。8月、宝塚歌劇団の意向から、新設された映画専科に八千草薫と共に異動。早速、その年の10月に『快傑鷹 第一篇 蛟竜風雲の巻』で映画デビューを果たす。

 そうこうしているうち、昭和三十年、「東映引き抜き騒動」に巻き込まれてしまった。私、何も知らずに東映京都のかたに湯豆腐をご馳走になって、うっかり仮契約のサインをしてしまったのです。話を聞いた小林先生は私を前に怒りもせず、おっしゃった。
 「今すぐ大スターになって、お金も名声も手に入れたいなら、東映に行きなさい。でもしっかり基礎を勉強し、女優として末長く活躍したいなら、うちに居りなさい」
 私は、別にお金が欲しいわけではないし、実力以上の人気者になりたいわけでもないので、すぐに「ここ(宝塚)においてください」とお願いしました。すると小林先生は直々に東映に頭を下げ、話をつけてくださったんです。「あの子はうちにおいときたい」と。(扇千景「逸翁と私」『家庭画報』、2004年7月)

 一生の身の振り方を、20歳そこそこであった扇千景自身に考えさせてくれた事に感謝している。
「先生は、こういうところが"校長先生"、教育者だったんですね。」