1955年 八千草薫『蝶々夫人』を熱演

東宝・宝塚歌劇
1955年 映画『マダム・バタフライ』イタリア版パンフレット

 八千草薫は、1946年、戦後1年で宝塚音楽学校を受験し、翌年宝塚歌劇団に入団。1952年『源氏物語』で可憐で無垢な若紫(紫の上)を演じるなど、清純派の女優として人気を得た。また同年、劇団内に新設された映画専科に所属し、在団中から東宝映画などに出演した。
 1954年は、宝塚歌劇団が創立40周年を迎える記念の年となった。同年8月、八千草と寿美花代とがヴェネツィア国際映画祭への参加に、羽田空港からイタリアへ出発した。この年『蝶々夫人』日伊合作の話が持ち上がり、ヒロインは八千草薫に決定する。続く10月、共演の東郷晴子ら宝塚歌劇団生徒15名も合流。その後、全撮影を終了し、八千草は12月に帰国した。
 『蝶々夫人』(Madama Butterfly)は、リッツォーリ・フィルム、ガローネ・プロ、東宝によるイタリア&日本合作映画。監督はカルミネ・ガローネ(Carmine Gallone)。プッチーニ原作の同名オペラの舞台を、そのまま映画のセットで忠実に映画化した。撮影は全てローマのチネチッタ(Cinecitta)で行われたが、映画を通じて世界に正しい日本の文化を伝えようと、日本家屋のセットを日本から空輸し、東宝のスタッフが現地で組み立てた。衣装なども持ち込み「日本人女性の象徴」としてヒロイン八千草を演出した。映画制作費は当時の約2億円という。
 1955年、日伊の映画交流に対する貢献から、小林一三にイタリア共和国功労勲章「ウッフィチャーレ」が授与された。その年4月の日記には
「伊太利映画祭最終日に上映する「蝶々夫人」を見る。昨日大使館にて映画勲章を大使から頂戴(フサオ代理にて)したお礼を大使に申上げた。八千草薫の蝶々夫人の熱演とその上手には驚喜した。」
と記している。