1954年 黒澤明『七人の侍』銀獅子賞を獲得

東宝・宝塚歌劇
1954年、小林一三邸を訪れた三船敏郎と『ゴジラ』のヒロイン河内桃子

 1954年、映画作品は質量ともに飛躍を示した。黒澤明監督『七人の侍』は全国的に好成績を上げ、ヴェネツィア国際映画祭では銀獅子賞を獲得する。
 黒澤明は大作を撮る監督なので、多額の製作費を必要とする。経費をかけてよろしいと最終判断をしたのは、この時東宝社長となっていた小林一三であった。実際、撮影が進む間に当初の予算を使い果たしてしまい、東宝の重役会で「続行か、中止か」と揉める始末となる。結局、追加予算を出して製作を続行することに決まった。一三は、既に大映で『羅生門』を撮っていた黒澤の才能を評価しており、費用をかけても良い作品を創って欲しかったのだ。黒沢は『七人の侍』で見事に一三の望みに応えたと言える。
 主演の三船敏郎は、その野性的な魅力から早くに黒澤明ら監督の眼に留まり、1948年の『酔いどれ天使』などで評価は高まっていた。しかし、同年の東宝争議の激化から、同社の映画制作そのものがストップしてしまう。後に『七人の侍』では黒澤は三船に信頼を置き、本人の演じたいように演じさせた。『七人の侍』での菊千代の役柄は、豪放磊落な三船の性格そのものだが、またおどけた場面などは三船自身のアイデアによる演技であったという。