1948年 タカラジェンヌ、江東に舞う

東宝・宝塚歌劇
☞現在は株式会社東京楽天地が、錦糸町PARCOが入る楽天地ビル経営や、TOHOシネマズでの映画興行に当たっています。

 戦後、宝塚歌劇の東京公演は主として日本劇場で行われていた。一方、江東楽天地でも、江東劇場での宝塚歌劇公演を希望すると、小林一三はこれを大変喜んだという。1948年より、前後8回にわたって江東劇場での独占公演が実施された。
 当時、東京は焼け野原でトタンぶきの小屋がまばらに建っていた。公演計画を発表すると、人々は飢えた者の如く、美しいものに寄り集まって来る。江東劇場はたちまち東京一の美しい舞台へと様変わりし、連日補助椅子を出し切って、大人満員を続けた。
 その後、江東劇場は、有楽町の日本劇場・浅草の国際劇場と肩を並べる、東京の三大実演劇場として知られた。特にワンマンショーに関しては、歌手の登竜門として全日本興行師の注目を浴びた。美空ひばり・三橋美智也・島倉千代子などが江東劇場で好演している。
 1948年、小林一三は、江東楽天地のさらなる発展を指示している。
「幸に江東会社は利益が多くてお金も余るならば、将来新築の予定地である、向側の角屋敷に対して設計その他新案を研究する方面に捨石を打つほうが賢明だと思ふ。」
 実際、1950年には江東楽天地が誘致して、JRAの場外馬券売場(現、ウインズ錦糸町)を開設する。以降、江東楽天地は映画館や飲食店などを取り込んで、1956年には天然温泉会館を開場させるなど、家族連れで遊べる娯楽施設となった。