1937年 東宝映画の成立
東宝・宝塚歌劇

1936年、株式会社東京宝塚劇場と、P・C・L映画製作所、J・O・スタヂオとが提携し、東宝映画配給株式会社を設立する。P・C・LやJ・Oの邦画を東宝系など各劇場に自主配給する機関も確立し「東宝ブロック」が形成された。日比谷映画劇場ではマックス・ラインハルト監督のハリウッド映画『真夏の夜の夢』が特別上映され、日本で最初のロードショーとして重厚な作品内容とともに世評を賑わした。またこの年、渋谷に新築開場した東横映画劇場が東宝直営となり、株式会社東横映画劇場を合併する。
そして1937年には東宝映画株式会社を設立して、写真化学研究所、P・C・L映画製作所、J・O・スタヂオ、東宝映画配給の4社を吸収合併し、製作と配給との一体化に取り組む。合併により、写真化学研究所、P・C・L映画製作所は東宝映画東京撮影所(現、東宝スタジオ)となり、J・O・スタヂオは東宝映画京都撮影所となった。
東宝映画となったP・C・LやJ・Oには、小林一三の支援によって、長谷川一夫・大河内伝次郎・入江たか子・原節子など第一線級のスターたちが続々と集まる。東宝は経済力に底力を持ち、新しい俳優たちも次第に東宝の合理的な運営を好しとして、作品の魅力が上昇していった。東宝ブロックは、始め大都市の各宝塚劇場を主力としていたが「東宝映画は良くて、安い」との評判が広まり、地方の有力な映画館が次々と東宝陣営に入って来た。その多くは小林一三に対する世間の信用から加入してきたものと言える。