1957年 武智鉄二、コマ劇場を絶賛

東宝・宝塚歌劇
1955年 小林一三宅を訪れて対談する武智鉄二。

 若手の歌舞伎役者らを用いて古典を演出した「武智歌舞伎」や、能や狂言の古典芸能と前衛演劇との結合を試みて、演劇界の革命児と呼ばれた武智鉄二。小林一三とも何度か演劇論を交わしている。
 宝塚歌劇でも1956年の花組公演「うかれ大名」を演出。小林一三は
「武智先生の狂言レビュー「うかれ大名」十二場を面白く見た。脚本を読んだ時は、ただ狂言の筋を運んでゆくだけで、トテモ、レビューには無理だと思ったが、なかなか滑稽味が充実して生徒達も気乗りして演じて居るので、セリフ廻しも上手になった。背景も切り出しも、簡単に気がきいて居る。」
と好評した。
 一方、その武智を驚かせたのが、同年、東京新宿と大阪梅田とに現れた「コマ劇場」。客席の中へ半円形に張出した舞台上に、3段の回り舞台がコマのように回る。演劇やショーの演出に、従来と異なる新たな工夫を必要とする「コマ劇場」は、一三が建てた最後の劇場であった。翌年、小林一三が逝去すると、武智鉄二は追想する文で、一三の独創的な劇場構想を絶賛した。
「"コマ劇場"というのは、プロセニアム・アーチから解放された、新時代にふさわしい、というよりもむしろ、現代演劇を推進して行く上に、絶体に必要な、新形式の劇場なのである。」
「プロセニアム・アーチ」とは、客席から見た時に舞台空間を額縁のように仕切ねる枠のこと。しかしまた
「"コマ劇場"は小林翁のライフ・ワークだったし、演劇史上最大の功績でもあった。しかし円型劇場の理念を中途半端のままで、後継者たちにゆずり渡したのは、罪の意識のない罪と言えようか。」
と、一三の夢の劇場を、後の演劇人たちが果たして活かすことが出来るのか、危惧の念を抱いている。