1952年 「浅草楽天地」がオープン

東宝・宝塚歌劇
1952年 浅草宝塚劇場の開場。

 戦前からの娯楽のメッカといえば、何といっても浅草だった。東京での邦画・洋画の封切は専ら浅草で行われ、浅草寺門前の興行街六区の劇場は大きく立派であった。浅草は映画興行や大衆娯楽の中心地であり、そこでの劇場の大部分を経営所有していたのは松竹であった。
 小林一三は日比谷に東京宝塚劇場を建設し、東宝はここを拠点としたが、それとは別に浅草に進出して劇場を建設することは、一三にとっての予てからの念願でもあった。ようやくそのチャンスが巡って来たのは、終戦によってであった。浅草は焼け、浅草寺の五重塔も戦災に遭う。そこで一三は浅草寺に提案した。
「どうだろうか。私か浅草ひょうたん池の半分(千坪)を買い上げてあげようじゃないですか。
その金を基にして浅草寺の復興資金を造ったら如何ですか」
これには浅草寺も非常に乗り気であった。
 1951年、株式会社江東楽天地の兄弟会社として株式会社浅草楽天地を設立。五重塔再建資金の捻出に、浅草公園六区の瓢箪池を埋め立てて、跡地の南半分を楽天地が取得する。翌年、浅草宝塚劇場と浅草宝塚地下劇場とが開館した。松竹との繋がりが深い浅草に、初めて東宝系劇場が現れることとなった。

?現在は株式会社東京楽天地が、商業観光施設「まるごとにっぽん」などが入る東京楽天地浅草ビルを経営し、賑わいを創出しています。