1938年 宝塚少女歌劇、初めての海外公演

東宝・宝塚歌劇
1938年 ドイツ・ドルトムントSTADTTHEATERでの公演ポスター。

 小林一三の夢の1つは、宝塚歌劇を通じて日本の伝統文化を世界に紹介することだった。それが初めて叶ったのが1938年の第1回ヨーロッパ公演。団長は、一三の三男、小林米三。組長は天津乙女、副組長を奈良美也子とする宝塚少女歌劇団生徒30名含む一行は「日独伊親善芸術使節団」と称した。神戸港から靖国丸に乗船して出帆し、寄港各地を慰問しつつ、海路ナポリに上陸する。そこから陸路をローマ經由でベルリンに入り、かつて在ったベートーヴェン・ザールで最初の試演を果たした。以来、ドイツ・イタリア・ポーランド・クロアチアの26都市で活溌な公演旅行を続け、国際的名声を博す。翌年、伏見丸で神戸に帰着するまでの旅程は164日間にも及んだ。天津乙女は「その年は十月の声を聞いても暑くて、花束を抱えた着物の袖が汗でちぢんだのをおぼえています。」と苦労があったことも回顧する。
 続いてアメリカ公演が発表され、1939年には小夜福子を組長とする「訪米芸術使節団」40名が、鎌倉丸に乗船して神戸より出帆。ハワイ・サンフランシスコ・ニューヨーク・ポートランドなど、米国内9箇所を巡演した。
 世界の状況は大戦前夜となる緊迫した時期であったが、この後の宝塚歌劇団にとっても、世界に眼を見開く第一歩となる貴重な経験となった。