1937年 「東宝チェーン」の始動
東宝・宝塚歌劇

1934年に東京宝塚劇場・日比谷映画劇場が開場すると、1935年には横浜宝塚劇場・名古屋宝塚劇場・京都宝塚劇場、1936年には神戸阪急会館、そして1937年には北野劇場・梅田映画劇場、と矢継ぎ早に新築開場させた。小林一三はわずかな年月の中で、六大都市の中心に最新の設備と合理的経営による劇場を造っていった。その驚異的なスピードでのチェーン展開は、一三の真骨頂と言える。
国民大衆に、よりよきものを、如何にすれば、一番安く提供し得るかといふ点を考へる時、それは芝居にしても、映画にしても、同一系統によるチェーンを持って興行することが、仕入原価を安くする事、興行経費を節約し得る事
につながる、という計算が一三にはあった。こうして六大都市における東宝劇場チェーンを充実させ、堅実な営業体制を作り上げていったのだ。
小林一三は
国民大衆本位に、『娯楽は生活の糧なり』『既に娯楽は生活の糧であるとせば、其娯楽は家庭本位であらねばならぬ』
と理想を語る。それには常に良い作品を提供できるよう、映画産業をビジネスとして成り立せなければならない。一三はその実現のために、劇場経営者としての責任を全うしようとしたのである。