1952年 原節子、小林一三の外遊出立を見送る

東宝・宝塚歌劇
1952年 小林一三に花束を手渡す原節子。

 1940年、小林一三一行がヨーロッパへと向かう船上で、映画鑑賞会が開かれ、1938年の東宝映画『田園交響楽』(山本薩夫監督)が上映された。アンドレ・ジッドの同名作を、高田稔と原節子とが演じたものであったが、一三は日記で「面白くないのは残念」と嘆いている。「原節子をピカ一の売りものにする映画を作つて見せてやり度い心持がする。」
 その後、何れも原節子の代表作とされる映画作品が、東宝から生み出された。1946年、黒澤明監督の戦後初作品『わが青春に悔なし』のヒロインに抜擢され、自らの信念に基づいて生きる女性の姿を演じた。1949年、石坂洋次郎の小説『青い山脈』を今井正監督が映画化し、原は解放された新しい時代を生きるようとする英語教師の姿を堂々と演じた。1951年、成瀬巳喜男監督が林芙美子の小説『めし』を映画化し、原は市井の所帯やつれした女性を演じて新境地を開拓する。同作で原は、第6回毎日映画コンクール女優演技賞、第2回ブルーリボン賞主演女優賞に輝いた。
 この頃、原は一連の小津安二郎監督の作品『晩春』(1949年)『麦秋』(1951年)『東京物語』(1953年、何れも松竹映画)でも好演し、絶賛されていた。
 1952年、戦後の海外事情を視察に、小林一三が羽田から出発する。空港での見送りに、宝塚歌劇団生徒、東宝の俳優・女優などたくさんの関係者が集った。ところが並み居るスターの中で、搭乗タラップの上の一三に最後に花束を贈る役を担ったのは原節子であった。一三が原を高く評価していたことを、周囲に印象づけるための抜擢だったのだろう。