1954年 川喜多長政、日伊合作映画『蝶々夫人』を世話する

東宝・宝塚歌劇
1953年 小林一三宛、川喜多長政の書簡(末尾部分)

 1928年に東和商事合資会社(現、東宝東和株式会社)を設立。パートナーの川喜多かしことともに、映画輸入業者として世界中を買い付けに回った。
 1955年の日伊合作映画『蝶々夫人』の制作も、川喜多に負うところが大きい。前年、避暑で六甲山ホテルに滞在中の小林一三を川喜多が訪ねたことを、一三は日記に遺す。
「川喜多君、森君、井上支社長、阪急側から米三、引田君登山来訪。伊太利側と東宝との契約済の件、「蝶々夫人」決定の件、芸妓の役に宝塚から十六名選出の件、同時にその十六名を利用して伊仏公演計画の等談合。宝塚側から目ろみ書案を作成、八月中旬再び渡伊する川喜多君にお願して交渉を頼むことに決定。」
 川喜多長政もまた、この訪問を記している。
「種々報告した後、お別れして帰ろうとすると、私が何度も辞退するのに小林さんはわざわざ玄関まで見送って下さって重ねて『蝶々夫人』のお礼を述べられた。」
この時、同道した森岩雄(当時、東宝取締役製作本部長)が川喜多に声をかけた。
「川喜多さん、こんなことは前例のない事ですよ。蝶々夫人のことをとても喜んでいられるのですね。」
 8月に入り再び
「川喜多君わざわざ来山、来る十八日伊太利ゆきにつきアイサツに来られた。十八日寿美花代、八千草の二人をつれていよいよ「蝶々夫人」撮影に渡伊するに就てよろしくお頼みした。」