1960年 寿美花代、芸術祭賞を受賞

東宝・宝塚歌劇
1956年 小林一三宅を訪れた4人。天城月江(前列左)・故里明美(前列右)・淀かほる(後列右)・寿美花代(後列左)。

 寿美花代は、1948年、宝塚歌劇団に入団。人気の男役として活躍し、東宝映画にも出演を始める。1954年の小林一三の日記には「「水着の花嫁」を見る。寿美花代初めての映画として大成功」と記している。舞台に、銀幕に、明朗快活な寿美のキャラクターが観客を魅了した。
 1956年の暮れ、天城月江・故里明美・淀かほる・寿美花代の4人が、一三宅を訪問する。ちょうど梅田にコマ劇場が開場したところで、一三は
「コマ劇場も出来たし、テレビも、サンケイがもう一つ出来て、その社長を私が引受けているし、宝塚映画も本格的に撮るからテレビ、映画、コマと仕事が増えるからね。」
「テレビ」とは、産経新聞の前田久吉が中心となって開局を進めていた関西テレビのこと。一三は、スターを増やすことが必要だと4人に向かって意気込んだ。寿美もまた、歌舞伎町のコマ劇場に触れ「東京の方ももう出来ますね。」と返した。一三の頭の中には、大きな夢が膨らんでいた。「十二月二十八日に開場式をして、これは映画で開ける。トッドAO式とかいう「オクラホマ」」
 その新年、小林一三がこの世を去ってしまうなんて、誰一人思いもしなかった。寿美花代は亡き一三の夢を形にしようと、舞台に専念した。1958年には『三つのワルツ』で、淀かほるとともに芸術祭奨励賞を受賞。更に1960年の『華麗なる千拍子』では芸術祭賞を受賞した。