1954年 新珠三千代、ブラジル行きに旅行カバンを借りる

東宝・宝塚歌劇
1953年 沿線社寺への初詣を案内する阪急電車ポスター。新珠三千代の明るい表情が花を添える。

 1945年、宝塚歌劇団に入団、1946年『グラナダの薔薇』で初舞台。新珠三千代は、清楚な美貌と歌唱力とでトップ娘役として活躍した。一方映画でも、1951年、東宝の『平安群盗伝 袴だれ保輔』(滝沢英輔監督)でデビューする。
 1954年、サンパウロ市制400周年を記念して開かれた国際映画祭に出席するため、越路吹雪や新珠三千代がブラジルへ出発する。その数日前、新珠が小林一三の家を訪れた。
「新珠は明日飛行機にて東上、その旅行仕度に就きカバンを貸す。米三、アツ子に準備して貰ひ度いといふ嘆願に同情して、アツ子、米三、宝塚新珠の宅にゆく。」
と一三の日記に見える。一三の三男米三と、その妻敦子とが荷造りを手伝うなど、家族ぐるみで親交があったようだ。
 ところが1955年に宝塚を退団すると、日活に入社して看板スターになるなどした時期もあった。しかし1957年、新珠三千代は東宝に復帰する。小林一三も嬉しかったのであろう、前年歳末の日記に
「来年は興行部の活躍を期待する、新珠、乙羽二人が再び東宝へ来るとの事也。」
と記している。新珠は、一三亡き後も、生涯東宝(東宝芸能)に籍を置き、数々のテレビドラマでも人気を得た。